20 posts categorized "HA−RYU−GETU"

July 15, 2016

波流月ゲストハウス IN NASAオープン 新しくホームページをつくりました

波流月ゲストハウス IN NASA
8月1日からのオープンになります。

部屋作りと看板がまだです、でも、営業はしていますよ、電話予約080-6377-0011
HP http://guesthouse.haryugetu.net

波流月ゲストハウス IN NASA
〒775-0512 徳島県海部郡海陽町宍喰浦那佐189-8
TEL & 予約 : 080-6377-0011 (8:30-20:00)

もう、プレオープンしています。3500円素泊まりです。

新しいホームページもつくりました

青山弘一の生き様 波流月 はりゅうげつ とは
http://www.haryugetu.net

波流月サーフボード  バリバリ シェイプしています
http://surfboards.haryugetu.net

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February 19, 2011

石井秀明が作った、SC、サーフィングクラッシックという波乗りの本があった時代の思い出話

「青山弘一の昔の思い出・・・」

 石井さんの作られたサーフィング雑誌、サーフィングワールド、サーフィングクラッシックの写真や文章、アイジアンパラダイスの映画の映像には夢があった。 僕は若い時から石井さんに憧れて、波乗りの人生観を学んできた。僕の20代から30代、波乗りにとって最も大事な青春時代に石井さんの文章と出会えたことは自分自身の波乗りの方向性「どこにいけばいいのか?」「何を目標に波乗りをすればいいのか?」を、導いてもらった気がする。
 石井さんが確実な夢をサーフィング雑誌の中で示してくれた事によって、僕は自分の行くべきところがどこなのか決まったかもしれない。
いや、決まったはずである。現実に僕は今、ワイメアの20フィートに乗れたのだから。
 僕が波乗りを始めた頃は波乗りの情報は殆ど無い時代であった。今の様にインターネットなどが無いから、 SCやサーフィングワールドで僕は波乗りの青春時代を過ごして来た。
 石井さんの作る本にはいつも夢のある写真と文章が載っていて、僕はまだ見ぬ波乗りのポイントに夢をはせ、自分もいつかはこんな波に乗って波乗りをうまくなるんだ・・と思ったものである。
 そして、石井さんの文章の中には色々なプロサーファーを身近に感じる庶民的な出来事やその私生活などが紹介されていて、 僕らが知りたい情報をしっかりと与えてくれていた。
 DVDやユーチューブなどが無い時代、波乗りの16ミリ映画や雑誌が僕たちのたった一つのバイブルであった。 特に「アジアン・パラダイス」はグラジガン、パタンパタン、ニアスと次々に撮影が行われる様子がライブでSCに載っていた。 自分の友達がパタンパタンで波に乗った話を聞くと、同じプロサーファーとして、是非僕もこのプロジェクトに参加したいと切望していた。 そうするうちに石井さんからお誘いがあってスパイスアイランドに行けることになったのだが、 この映画に出演出来たことが、僕のこれからのプロサーファーとしての生き方を大きく変えて行く出来事になった。
 この映画の中で他のプロサーファーを見ていたら、自分にももっと出来る「何か」があるのではないだろうか?
と考えさせてくれた貴重な旅であったと思う。それほどまでに、僕のサーファーとしての夢や方向性を導いてくれたのは石井さんである。
 誠に有難うございます。こんな機会を与えてくださって・・・。


 僕のサーファーとしての転機は3回ある。
1982年にプロサーファーに受かった時、1984年に「アジアン・パラダイス」に出演できた事、 2005年にワイメアの20FeetOverに乗れた事が僕のサーファーとしての生き方に大きく変化をもたらしてくれた出来事であった。その中でも「アジアン・パラダイス」に出演した事が僕の波乗りに対するハングリーなココロを最も動かしたのだ。
  「もっとうまくなりたい。このままでは僕はあんまりうまくないから頑張らないといけない。」と思ったのもこの映画に出演して考えた事であった。うまくなるには毎年ハワイの波に乗らなければならない、と思ったのも石井さんのSCを読んでいたからこそ・・。世界で一番凄い波で修行すれば自分は必ずうまくなると思っていた。
 ハワイに行けば必ず見えてくるものがあると思って30年間毎冬通いつめた。世界で一番の波のある所に冬の日本の波の無い時期に行って頑張るんだ、と思ったのもこの映画に出演したから。 同じプロサーファーが頑張っているんだから、自分にも出来る。
同じ人間であるから、自分にも絶対ワイメアに乗る事が出来る。
 そして時を重ねるうちに、ハワイの人達が自然に波乗りと接する姿を見て、日本人のプロサーファーとは違う、波乗りがあることに気がついたのである。 ハワイに行っている日本人のプロサーファー達が必死になってカメラマンにひっついている姿を目の当たりにして僕は本当に幻滅を感じた。

 これが本当のサーフィングジャーナリズムの姿なのか?

 今まで読者に伝わっているのは、日本人だけに顔を向けた日本だけに見せる波乗りの雑誌なのか? いや、違う。これは間違いである。 ハワイの波に乗る。大きい波が好き。波と一体となるのがハワイの波乗りである。不思議にハワイに行くと、自分自身のやってきた事が正しかったと再確認する事が出来た。
 40,50,60歳の普通のサーファーがワイメアの波に好きで乗っている姿に感動を受けた。
そして自分も60歳になっても、ワイメアに乗ることを誓ったのである。そしてここハワイで続けることの大切さも学んだのである。
 こんなことを思い考えさせてくれたのも、いつも石井さんの冬のハワイ特集を見てランデイ・ラリックやジェリー・ロペスの記事を読んでいたからこそだ。 冬のハワイがとても身近に感じられていたから、ハワイに興味を持ったのも自然の流れであった。


 こんな個性のある編集者が石井さんであった。冬は必ずハワイに行かないといけないとも教えてくれたし、 日本人ならアジアの波にも乗るべきであると教えてもらったのも石井さんである。
 石井さんが活躍された1970年後半から80年代中盤までと比べ、今の時代、個性ある雑誌の編集者が皆いなくなってしまった。いつもいつもリップやケリー・スレーターなど、みんな同じようなことを追っかけているのではないか? 不思議に思うのは僕だけではないと思う。「つのだゆき」を除いてはね。
  僕はあんまりケリー・スレーターの波乗りは好きではない。
彼は1980年代の分厚い板を乗っていた時代にとても良いサーフィングをしていたように思うのであるが、どうであろうか? 今の彼はあまりにも動きを追求しすぎて軽すぎるから、僕は感動しない。
 彼がニュースクールの流行を作った事は認めるが、僕はトム・カレンに代表されるオールドスクールとニュースクールの間の世代のサーファー達が一番好きである。
 もしこの21世紀に石井さんの様なカリスマ編集者が出てきたら、この日本国からもっと個性的な素晴しいサーファーが沢山育ったのかもしれない。「波乗りは道」であり方向性であると思う。 武道の様に「礼に始まって礼に終る」形が、波乗りにもあってもいいのではないだろうか? ジェリー・ロペスが「サーフィングは東洋の思想にも似た所があるから、日本で必ず良い方向性に進む事ができる。」と言った様に 日本も島国、ハワイも島国、自然に感謝して親から子に、子から孫に、スタイルや教えは伝わっていく同じ土壌が日本にもあると思う。
 ハワイで始まった波乗りはここ日本でも、もっと武道のように「波乗り道」というような何か形のある教えが出来る指導者が、 現代の日本サーフィング界にいれば、今の日本の波乗りも外国の猿真似ではなく、日本独自のスタイルのある「波乗り道」が出来るかもしれない・・と僕は思う。
 まだまだ、この日本は捨てたのものではないと思う。これからもっと波乗りの精神性をわかっている人達が集まり、対話を重ね、同じ方向性に進めば、何かサムシングエルスが見えてくるかもしれない。


 僕はまだまだ石井さんに期待している。「波乗りとは?」「波乗りをするおもしろさ」など波乗りの哲学をもっと明確に伝える人がいれば、 これからもっと波乗りが精神世界に発展していくことだろうと思う。
 波乗りはリップではなく、その波と一体となる事が最も大切な事なのではないのではなかろうか?今のDVDや雑誌はコンテストでの勝った負けた、が多いと思う。 そしてリップや飛んでる写真が目立つ事も僕にとっては面白くはない。
 なぜ波の全体の景色や山から見た海のポイントの景色などが少ないのだろうか。そして、地元の子供達や老人の笑顔も少ない。サーファーの写真も表情がつまらない。 良い波に乗って夕焼けを見て、冷えたビールを良い仲間と分かち合っているシーンが少ない。

 何も伝わってこない。

 DVDに目をやれば、うるさい音「ジャーンジャカ・・ジャンじゃんジャン・・」という様な変な曲がずっと流れていて、とてもしんどい。波乗りもリップばかりで、深いボトムターンやカービング、夢のある映像がとても少ない。 そして何よりもサーファーのしゃべっている部分が少ない。
 教えを伝えるシーンがあまりにも少なく、説得力が全く無い。何故であろうか・・・? 波乗りとはもっと「気持ちのいい行為」であり、波乗りを終ったあとは皆が平和になり幸せになれるのが波乗りで、 それもいい波に乗った戦友と一緒に同じ場所で良い酒を飲めるのも、とても素晴しいことではないだろうか?
  街や飲み屋でサーファーが色々なうんちくを言うのはわかるが、本当のリアルサーファーならば、海の波に乗った夕方に波乗りの話を仲間とうまい酒を飲んでしゃべるのが本来の姿であると思う。
 雑誌も机の上での想像だけの世界ではなく、石井さんのように現地に行って現地で原稿のチェックを出来る者が
本当のリアルなサーフィン雑誌の編集者ではないだろうか。思い起こせば1984年「アジアン・パラダイス」撮影中の2週間のこと。
 僕はバリで書き始めた原稿をスパイスアイランドの電気も無いロウソクが灯った部屋で石井さんに渡して読んでもらった経験がある。
 その時に、僕はこの人が「渋い編集長」であると思った。
  今の時代の波乗りの雑誌の編集長は、コンクリートジャングルの中のクーラーの効いた部屋の蛍光灯の下で原稿を読んで整理する。 良くない・・・と僕は思う。
 インドネシア、タイなどの僻地にいても電気とPCがあれば写真や原稿を現地から送ったり出来る。海の近くで雑誌の仕事が出来る。海の近くや海外で仕事が出来る便利な世の中になった時代だからこそ、雑誌編集者の居る場所は街などではなく、そうするべきであると思う。
 そうなれば素晴しい波乗りのことを伝える 石井さんのような 伝道者が再び出てきてもおかしくはないと思う。


 僕はトム・カレンの波乗りと彼のスタイルが好きだ。彼は90年代に流行ったリップやエアーや薄くて幅の狭い板に左右される事なく、きれいなS字ターンやカービングターンなどを追求した。 彼の波乗りのスタイルには言葉がいらない。 生き方とライデングが彼の波乗りのスタイルを表現していると思う。
 僕は何回もハワイで出会ったのだが、残念ながら彼と一度もしゃべる機会がなかった。けれど僕が感じるトム・カレンの雰囲気は、あのマイケル・ジャクソンとダブルように思うのである。 大人しい性格、言葉は少ないが求道者のようにトムは波に乗り、マイケルは歌やダンスに精進する。 2人とも体の動きが本物である。軸がしっかりしているところに共通点がある。 ワイメアの海の上でトムと会った時、彼はワイメアの波と手をつなぐように波乗りをしていた。 彼はワイメアの沖で波を待っている時も存在感はない。でも一度ワイメアの波に乗るとその存在感は実に大きいものである。
 バックドアーの小さい時に海の中で出会ったときは、水泳の泳力の素晴らしい事に感嘆した。この僕が言うんだから間違いない。トム・カレンは泳ぐのがうまい。
  そして4,5年前にパイプラインの大会で見た時は、板を流してのボデイサーフングが素晴しくうまかった。
波と一体になっている感覚がとても素晴しかった。今でもあの感激は忘れない。
  僕もトム・カレンの様にワイメアで波と一体となって、自然の中の一部の様にカービングで波乗りがしたい。


 これからの日本の波乗りについいてであるが、僕は日本の波乗りの将来性が良くなることをいつも望んでいる。
もう・・・日本の波乗りの業界は政治家ではないんだから自分の損得勘定はやめて、 下の次の世代のために、伝える何かがもっとあるのではないだろうか? みんな波乗りを古くからやっているからこそ、みんなが気がついて欲しい。
 みんな自分の今の波乗りばかりを考えるのではなく、自分達の子供や孫や次の世代の子供達のために日本の波乗りがどうなるべきか?を考えよう。波乗りで良い思いをした、サーファーならばこそ、もっとよく考えて欲しい・・・。
  僕の尊敬している山口の高尚なお坊さんの言葉にあるように「形あるのもはいつかは無くなる」のだから、今を大切に生きましょう。 いくらギンギンのサーファーでもいつかは体が衰えて、いつかはサーフィングが出来なくなって死を迎える。
  そして、どんなに新しくてきれいなボードもいつかは折れて無くなってしまう。僕も、もう20-25Feetのワイメアには乗る体力は無い。後は楽しくのんびり・・・坂をゆっくり、下りるだけである・・・


 このお坊さんが言いたいのは、いつまでも物事に固執していてはいけない、流れに身を任せて生きていきなさいよ、という事である。 僕も15-18Feetの波にはまだ乗れるが、歳もいっているので、だんだん、ゆっくり・・・ワイメアよりサンセットそしてヒマラヤなど・・・ 降りていこうと思っている。
 いきなりではなく、ゆっくり、楽しく、のんびり・・・。
波乗りはいくつになっても楽しいから、いつまでも波乗りは続けて行きたい。
 そしてこれからの世代のために波乗りが社会的に認められるようにしていきたい。
「形あるのもはいつかは無くなる」が、「魂」や「教え」、「スタイル」や「波乗りの流派」はいつまでも残るものだと僕は思う。
 だから次の世代の子供たちのために、我々サーファーは何を残すか?何を残してあげれるか?
それがこれからの僕に残されたミッションであると思う。
 だって僕は、波乗りが始まった創世記1900年から2000年の日本や世界中の波を見て来れたのだから。バリのウルワツが発見されてワイメアに1950年から60年にトムカレンの親父のパットカレンやグレックノールが波乗りをするのをみれたのだから・・・・ワイメアは100年後も500年後も同じように波が来て同じように、サーファーが乗っているだろう・・・
 この波乗りが1000年後も同じように子孫達に愛されて、彼らが波に乗っていることを想像してごらん。
 今、起こっているローカリズムの問題や、人が多くて波に乗れない事なんて、なんてちっぽけな事だと思わない?


 波乗りとは合気道のように争うものではなく、自分のために修業するものであり、自分自身との戦いでもある。
波に打ち勝つようなものでもなく、ましてや他人に勝つためのものでもない。自然の大きさに飲み込まれないように毎日日頃からの精進が大切である。
  今の日本の波乗りは違う方向に進みつつあり、今の政治と同じように波乗りの業界のものが自分の欲のために進んでいると思う。
  石井さんは、20数年前の当時からその波乗り業界のスポンサーの方向性と編集者の方向性の食い違いに嫌気がさして、雑誌編集の世界から波乗りの実践を行う世界に行かれたように僕は思う。
 今、残念でならないのは、石井さんのような方向性のある雑誌が今でもあれば、もっと素晴しい形としての日本の「波乗り道」が発展していたかもしれないということだ。

青山弘一プロフィール

1952年 11月20日生まれ 58歳 京都市在住。プロビックエイバー
日本プロサーフィン連盟公認プロサーファー。
NSA A級ジャッジ保有。ISAインターナショナルジャッジ(レベル1)保有。 
1970年 京都同志社大学1年生の時に波乗りを四国で始める。
1977年 京都で始めてのサーフショツプ「ノースポイント」を創業。
1978年 この年から2008年まで30年間 HAWAII ノースショアーに。毎冬1-2ヶ月間、Big Wave に挑戦し続けている。
1982年 JPSAプロテストに5位で合格。最終ランキング23位。久我孝雄、糟谷修司 らと同期生。
1983年 JPSA最終ランキング32位
1984年 日本サーフィン史上初の、日本人制作、日本人プロサーファー出演の16ミリ映画
「アジアンパラダイス」の撮影に参加。
「サーフィン・クラッシック」誌 に「大阪ハングリーパワー」というコラムを執筆掲載。
1997年 「サーフィンワールド」誌 に「HBD」の宣伝広告コラムを1年間連載。
1998年 「サーフィンライフ」誌 に コラムを2年半に亘り連載。
2005年 「サーフファースト」誌 2006年37号に、日本人初のHAWAII ワイメア25feet
(約12m) の Riding 写真が見開きで掲載。
同誌38号に、HAWAII ワイメア20 feet からのワイプアウトの連続写真が掲載。
全日本マスターズ水泳(50-54歳クラス) 200m 平泳ぎで優勝。
2007年 新春マスターズ水泳(55-59歳クラス)短水路200m 平泳ぎで日本新記録樹立。2分44秒00。
短水路100m 平泳ぎで日本記録樹立。1分14秒88。
全日本マスターズ水泳100m (55-59歳クラス)を日本記録で優勝。
1分18秒61。
2008年 「サーフファースト」誌 2008年61号に、18 feet の Riding 写真が見開きで掲載。
2009年 「ハレイワインターナショナルコンテスト」(シニアクラス)優勝。
HAWAII のレジェンド「ジャック・サザーランド」さんに勝利した大いなる記念日となる。
日本短水路選手権(55-59歳クラス)200m平泳ぎ で自己日本記録を更新。
2分43秒2

2009年12月25日ワイメアの18フィーとの波でエヤーテイクオフの写真がハワイのサーフラインのHPに大きく載る
2010年1月11日伝説の波25フィートに乗る・・・ユーチューブにたくさん乗る・・

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「青山弘一・・青爺の今の思い・・・」

 人生を100才まで生きるとしたら、もう僕は50歳の分水嶺は越えたことになるが、 男は40歳ではまだまだといわれ、50歳から味がある生き方が出来ると先人達はいう。

 青爺も40歳の時からみんなに青爺・・青爺と呼ばれて、若くしておじいさんの呼び名は頂いたのではあるが皆が呼ぶ、呼び名とは正反対に50歳を越えてますます元気になり、ワイメアの20フィートオーバーの大きい波に乗ったり、水泳で全日本チャンピオンになったり、年老いてますます、元気な今日この頃である。

 アオヤマヒロカズは京都という海のない都会に住みながら何故ハワイの大きい波に乗れるのか?
みんなには不思議に思うであろう。誰もが感じる疑問だと思う。

 波乗りで大きい波に乗るにはある程度の波乗りのテクニックがあればできると思う。 あとは経験と精神力が大波に乗るときにとても必要な事であるんだ。

 青爺は究極のMであるから、波乗りの大きい波でいじめられたり、水泳のしんどい練習に耐えたり自分にしんどいことをするのが大好きだ。これはかなりの精神力がないと出来ないと思う。

 たとえば大文字の山を走って上がったり、自転車で日本海に行ったり、琵琶湖を1周回ったり皆出来るだろうか? タバコを波乗りのためにやめたり、ノースのために1年間、血の出るような水泳の練習に耐えることが出来るかな?

 信念を持っていれば誰だって出来ると思うよ。

 僕の好きな言葉に「信念を持って努力すれば夢は現実となる」という言葉がある。

 青爺はその昔ワイメアの波に乗って必ずサーフィン業界をビックリさせてやると友達に誓った。

 そのために努力は惜しまなかった。

 だから・・・ワイメアの波に乗れて、それから去年歴史的な大波にも乗れた。記念すべき日本人初めての25フィートの日本新記録の波に、それも海のない京都の人間が、である。

 だからみんなもやれば出来るよ。がんばれ、仕事も、お金儲けも、恋も。

 そう青爺は次の目標は2012年6月のイタリヤの世界水泳で日本新記録3位入賞だ。
そして・・60歳、2012年の11月から2013年の3月までの冬のノースショアーでワイメアにマキシムの赤いウエットと自分で作った赤いワイメアガンでワイメアの15-18フィートのなみにのって写真と映像を残す事だ・・・

 

 その考え方が、自分自身の精神力を鍛え磨き、夢に向かって生きていくってことなんだ。

だから・・・皆も夢を持って生きていこう・・・・青山弘一


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April 10, 2009

今日のいくみの波

今日のいくみの波
のどかな春の金曜日だ!昨日は桜に満月という素晴らしいとりあわせだ!四国で満月に桜を満喫したらもう新緑が感じとれる!みんなもこの陽気にさそわれて波乗りにいこう!四国はブーツはなしで波乗りだ!

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October 09, 2007

昨日の10月8日は久しぶりに竜谷大学の波乗りサークル「ハーフウエイOB杯」の大会に日本海の鳥取の浦富海岸に行ってきました。先輩後輩の上下関係に感動しました・・・・。

その昔、あれは25年ばかり前になるんだったかな・・僕がプロに受かった年と同じくして龍谷大学の沢井君という人がノースポイントに尋ねて来られて 「波乗りのサークルを作りたいのですが?プロサーファーにバックアップしていただけませんですか?」

と頼まれました。

僕もこれからの社会を背負っていく人たち、彼らのようなホワイトカラーの人達が世に出て、波乗りで得た自然に感謝する気持ちや、海での「生きる死ぬ」の思いを経験したサーファーならば、彼らのこれからの人生のプラスになるでしょう・・・・ということで、二つ返事でOkを出しここ、20年余り、彼らの波乗りサークルの活動に協力してきました。

最初は彼らの波乗り合宿に参加したり、関西学生連盟・・・「残念ながら、この連盟は今はもうなくなりました。」の大会に参加したり、彼らの主催する龍谷大学のOBの大会のプロヂュースを手伝ったりしていました。この鳥取の浦富海岸の使用許可も地元の人に僕が電話して許可をもらったりしました。すごく懐かしい思い出です。

今回5年ぶりに大会に参加させてもらったのですが、よく20年間以上も同じ場所で同じシステムでOBたちと現役学生たちとが仲良く大会を運営されてこられたなぁ・・とあらためて感心しました。

大会に参加した選手は上は44歳ぐらいの人から、下は19歳の現役学生まで沢山の人達が来られていました。
僕が見て感心したのはこのサークルは長い世代に渡って、上下関係を守り、スポーツ選手のように若い人達は先輩の言うことを守り、先輩は若い下の世代をかわいがり、下の世代の人達がテントをかたずけたり、うまく会社のように組織化されていたことです。今の波乗りをしている人達にはない上下関係・・海に行くたび若いものが先輩の板を積んだり、先輩のウエットを洗ったりする」・・・こんなことを言うと今の人達はついてこなくなりましたがね・・・

この目に見えない下積みがものすごく、波乗りをうまくなるに大切なんです。そして社会で成功する上でも大切なんです。わかりますか。・・・?「侘びさび」なんですがね・・・昔のサーファーは「丁稚」をする。と言って、最初は波乗りを教えずに板の積み方や運転から始めました・・・先輩サーファーたちは後ろの席でグーグー寝ていました・・・ポイントに着いたら先輩は思い切り波乗りをして、帰りはまたグーグー寝て帰ります。これが昔のサーファーのしきたりでした・・・。でも先輩は後輩に波乗りを教えたり人生を教えていました。その昔は、つながりが沢山あったのです。・・・今では考えられないですよね・・・今は個人、個人が独立して海に行きたがります。・・・・何故かって?・・・丁稚はいやだからです・・・皆・・・わがままなんです・・・特に、最近の若い子はね・・・いや年よりもね・・・特に若い子は先輩にうるさく言われるのがいやでね・・・すぐに・・・切れるのです・・・多分ファーストフードの食いすぎ・・・味の素のやりすぎで頭が飛んでるかも・・・「笑わないでくださいジャンキーな人・・・」ほら、君・・君ですよ・・・
みんな・・・お母さん作った昆布だしから作ったおかずや味噌汁、食ってますか?スローフードはのんびりなりますよ・・・時間がゆっくり・・流れますよ・・「波流月」みたいねね・・・

さあ・・・話を戻って、その昔、丁稚サーファーのころ・・・70年代や80年代は社会全体がコミットメント「つながっていたように思います・・・サーファー全体が大きな「家族」でしたね・・・ハワイアンの言う「オハナ」という意味です・・「困った時にはに見返りを考えずに助けること」・・ハワイではとなり近所や人間が「ココロ」でつながっているということです。今の社会はみんな「デタッチメント」「つながりがない」知らん顔だと思いますね・・・都会のマンションの隣同士のように「隣は誰だかわかりません・・・」・・・今で言う・・・「そんなの関係ねぇ・・」というような社会ですね・・・そのてん、バリや、昔の京都や、田舎は人と人のつながりがありますよね・・・この「家族」というのが今の日本人には欠如しているんです・・・
今の社会では親を殺したりコンビニでものが欲しいだけの欲で殺人事件を起こしたり、世の中が情報が多すぎてバーチャルな世界になる過ぎていると思います。
何故だか、わかりますか?特にコンピューターや携帯電話などが発達して顔と顔をみての社会とのつながりが少ないからです。
怒る人や大きな意味での「家族」の愛が欠如した世の中になりつつあります。
だからこの龍谷大学の人達を見て人生を昨日はすこし考えさせられました・・・。
親から子へ、子から孫に伝えていくようにこれからも龍谷大学の若い世代に波乗りの楽しさを伝えていって欲しいと昨日はつくずく、思いました・・・・「家族・・・オハナ」です・・・

そして最後に昨日は波は小さかったですが、彼らの大会と先輩、後輩のつながりを見ていると「波乗りを続けることの素晴しさ」も感じました。
僕も、波乗りを35年間続けてきてよかったと思います。龍谷大学の波乗りサークルのみなさん頑張ってくださいね・・・

それとこの僕のプログを見ている龍谷大学の学生さんがおられたら是非、龍大波乗りサークルにお入りください・・・

「家族・・・オハナ・・」ですから・・・

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August 27, 2007

満月が今日と明日に見れるからね・・・皆も色んな場所から満月鑑賞をしてくださいよ・・・なるべく自然の中で、昔を感じれる所を探してね・・・山とか海とかお寺、神社などなど・・

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波、月のように流れる・・・・

「波流月」と書いてHA-RYU-GETU・・ハリュウゲツ・・と読む・・・・

そのココロは・・・月には潮の満ち引きがあり、人の生死は月の満ち引きにも関係するという・・・我々サーファーはいつも風が起こした、波で遊ばれてもらっている。

人生には人の「気」の流れや、時の流れなどが、目に見えない事が、川の流れのようにある。そして、そのいい「気」の流れはやがて集まって大河となり・・・海に出る・・・・その時風が起こした波は波打ち際で白い波となり・・・長い「波」の旅も終着駅を迎える・・・

その時。波は綺麗に形となって崩れる・・・その時、波は花のように綺麗に咲いて終わる・・・

サーファーはその波が成仏する時に手助けして一緒に綺麗に華を咲かせてやる・・・波乗りのハナサカジジイになるのである・・・

「はりゅうげつ」・・・とはこの青爺が考え出した座右の名である・・・だから満月には集中して自分の人生を振り返り考える時なのである・・・皆で考えましょう・・・自分自身と波乗りの「ありがたさ」を・・・

波乗りは一生止められないことであり、止めようとも思わない・・・

空気みたいなもの、になっていますか?波乗りをならなければとか・・・思わないように・・・ごく、自然に「波乗り」や「波」「満月」を考えてください・・・・自然の流れ・・・これが波流月の考え方です・・・・

「壷・・・・お売りします・・・・教祖・・・青山大波弘之進・・・

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August 12, 2007

禅とはなにか?

禅は人はどういきるか?という哲学であります。もう少し砕けると本来の自己と出会うこと、であり、生まれ持っているとらわれない心を取り戻すこと。いわゆる子供 の心になることである。社会にでるとしがらみやとらわれに左右されるのである。波乗りを通じて青爺はいつも天真爛漫に波を見れば波にのりたい、のりたい。大きい波が好きだからワイメアに何もかも捨てていどむ。しがらみや恐さをわすれて。無になり空になる。これ波乗りの道なり。波乗りを通じて生き方やスタイルを伝えるのが天命のように想う、今日このごろ。

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March 05, 2007

いよいよ最終回だよ・・・これは僕が60歳にこうなっていたらいいなぁ・・・という夢・・・・

   

    VOL  10  

     メイストームが過ぎ去った白い砂浜で目を閉じてみると

     遠い世界の夢を見た。

     僕が60歳になった2012年にはNASAの新しい素材のサーフボート

     でタイガーウッズのような神童がサーフィンの世界をにぎわせている。

     だが愛するノースショアでは今も昔も変わらず波は大きく白く砕けている。

     ワイフと孫達に囲まれながらカエナに沈む夕陽の中でファミリーの

     大切さを回想している。そして「波乗りは待つ人生」と教えてくれた

     初老の友人といつも仲良くサンセットのアウトサイドで波待ちをしている

     自分の姿を見た。

     そう・・・あのピーターコールのように・・・・・

                                      最終回  青山弘一

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March 04, 2007

春だね・・・今年は波乗りが早く出来るから有難いよ・・・連載を読んでね・・・

  VOL 9  「ナチュラル  スタイル」


   今年、最初の台風1号のスウェルを見つけるために

   思わず、水のきれいな南の島に飛び出した。

   限りなく晴れ渡った空とどこまでも続く美しい海。

   島の子供たちや老人の笑顔と気持ちのいい波に出迎えられた。

   ここには何か特別の時間が流れている様な気がする。

   人の少ない所で波乗りをすると、それは決して争うものでは

   ないと感じる。

   この島に来て本当に心が和み安らぎをおぼえた。

   波乗りは楽しいそれでいてとても奥が深い。

   「  HAVE  A  FUN SURFING  」

   僕は浜に落ちていた板切れに乗ってみた。

 Dsc00340


   1997年   HBD宣伝   文   青山弘一

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February 26, 2007

このHBDの宣伝の連載はサーファーの気持ちを10回で表したもの・・・30、40、50代のサーファーに受けたよ・・・何回も読んで自分の状況に当てはめてね・・・

   VOL,8  「BACK  TO  BASICS」

   昔のサーファーは波をカンで当てた。

   NHKの第2ラジオの気象情報で天気図を書き、

   雲の流れを読み、低気圧の匂いを嗅ぎわけ波を当てた。

   四国の漁師は遥か南にある台風から吹き込む風をマゼと

   呼び、秋の台風シーズンには舟を守る。

   それらの事は上の世代の者から伝えられた話と経験によって

   体で覚えていった。

   世の中が情報化社会になり携帯電話などが普及し天気図を見なくても

   すぐに波がわかる時代になった。

   しかし僕はいつも思う・・・・。

   あの海を見るまでのワクワクした気持ちは波乗りを初めてした時から

   今でもいつまでたっても変わっていない。

   HBDサーフィンワールド宣伝     1997年   文   
Dsc00330


青山弘一

   

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February 23, 2007

昨日の文は波乗りでも人生でもチャンスのセットがやってきて、その女神は3度しかほほ笑まないから、必ず3回目のセットの波は逃すなよ・・・ということ・・・

VOL 7 「Get Wet, better than nothing 」

     海に向かう山道を通り抜ける車の中で新緑の匂いを感じた。

     暖かくなると街ゆく人達も何かうれしそうに見える。

     アウトで波待ちをしている時もいつもより海面を照らす光は

     キラキラとしていて眩しい。

     冬の間、体を守ってくれたウエットスーツは薄くなりパドリングも軽くなってきた。

     さあ、始まりの季節だ、

     少しでも早く夏を感じるため南の島に出かけてみたくなる。

     波乗りを続けることの楽しさやむつかしさを

     海の季節の移り変わりを見ながらつくづく思う。

       
     最初はみんな好きで始めたに違いない。

     「好きこそものの上手なれ。」

     この気持ちを味わうのなら波乗りをやり続けることだ。


         1997年 春Dsc00319


 HBD宣伝   文    青山弘一
       

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