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June 16, 2009

数年前に書いたハワイのお話が出てきたので呼んでくださいね・・

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「ハワイアン、アロハスピリットを持った日本人たち・・・・」4年前の文章です・・・

僕、青山弘一は今年で52歳になる。18歳で波乗りを始めてから、はや33年が過ぎてしまった。僕が波乗りを覚えてから、1年間に120日以上海とともに生活をし、トータルすると、4000日も海にいたことになる。

33年間の中で、すばらしい波や美しい景色にもたくさんであったが、僕にとって、もっともかけがえのない友人を波乗りをすることで出会えたことが僕の目に見えない財産であると思う。

そんな中で25年におよぶ冬のハワイのノースショアーにかよい読けて、多くの人々がこの僕を助けてくれたから、こんな大きな波に乗れたように思う。自分ひとりではきっとワイメアの20フィートの大波には

乗ることができなかったであろう。

大きい波に乗るということは波と一体とならなければならない。大きな自然のなかに自分の気持ちをフラットにして怖さや傲慢さを取り除き、ゼロの気持ちが

大きい波に乗るときには必要になる。もちろん一番大切なことはハワイの自然に感謝し、昔からのハワイ人が敬い尊敬してきたワイメアの神に敬意を払うことである。僕は海に入る前にはノースショアーいったいを見下ろす

フイオヘナルの丘にもお祈りをし、ワイメアにある教会のマリア様にお祈りをし、

ワイメアビーチにある大波のハワイアンのレジェンド、エディーアイカウの碑にもお祈りをして

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心を引き締めてからいつもワイメアベイのラインナアップに僕はくわわる。

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何故かあの大きい波で怪我しないのもそんな、ハワイの神々やレジェンドたちがかげながら見守ってくれているのではないだろうか。

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そして、何よりも忘れてはならないのがハワイに住んで僕をいつもヘルプしてくれる人たちである。その人たちがいるからこそ、この僕が大きな波に乗っても、無事にいられるのではないだろうか?

そんな、僕の周りにいるハワイアンアロハスピリット・・・<見返りをみない奉仕のココロ>・・・を持った人たちを紹介したい。

僕がここ10年間いつもお世話になっているところがワイメアから歩いて10分ほどの場所にあるジョンとデビィーのお家。ここはケイキビーチの近くでキャムハイウェイーの道路沿いのとても便利な場所。

200坪ほどある大きな家の1ベットルームの離れを僕の昔からの友達の日本人のやないひとみさんが住んでいるところをルームメイトとして冬の間まがりしている。

ジョンとデビーはとても気さくな人たち。僕が風邪をひいて一人ベットで寝ているときも暖かいスープを持ってきてくれたり、おいしい魚が取れたから焼いて食わないかと持ってきてくれたり、とても面倒見の良い人たちである。

ジョンは60歳をこえてもすごく元気で沢山の孫や娘たちもいるのだが、いまだに現役の大工さんで働き、趣味でハワイアンコアウッドで作った机やいすを販売している。もともとあんまりノースに皆が住んでいないころからの住人で

引退するまではフードランドの前にあるワイメアの消防士さんだった。

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だから僕に昔のワイメアの写真やあのレジェンドサーファーのローリーラッセルに会わしてくれたりなぜパイプラインマスターズで連勝していたローリーラッセルが優勝をあるカメラマンのせい

で出来なかった話など、いろんなノースの裏話を聞かせてくれたりする。

僕の折れたサーフボードがジョンのお家の郵便受けに使われている。それも最近古くなったのでいつも僕に会うたびに「ヒロ・・・折れたサーフボードはほらないでくれ・・・」といって笑顔でしゃべってくれる。

僕はあまり英語が出来ないんだけど、ある大きい波のときの朝に、ジョンが「ヒロ・・・サーフアップ・・・」・・・・とビックウエンスデイの朝のあのシーンを思い起こさせてくれた。生きた英語はこういうふうにつかうんだろう。

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そして僕が食事から寝泊りまで大変お世話になっているのが、やないひとみさん、彼女は神奈川の川崎のしゅしんで、元電通に行っていたのだがハワイが好きで移り住んでしまった。

ニューヨークのテロが起こるまではコンチネンタルのスチュワーデスだったのだがアメリカ国籍がなかったので解雇、今はマリオットホテルのタイムシェアーの期間貸しのリゾートを販売している。面倒見がよくサウスに働きながらノースから


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「ジョンの家の片隅にある、ひとみちゃんお家・・」

1時間かけて毎日通っている。ワイメアの波が大きくて僕が怖がっているときはいつも、迷うときはやめときなさいよ・・・と、引く勇気も教えてくれる昔からの家族ような仲間。僕の息子や山口県のお寺のお坊さんも毎年お世話になっている。

そのやないひとみさんの友達でエクスクルーシブというリムジンサービスに勤めている川上薫さん。彼は僕と同じ年で1952年生まれの52歳。サーファーで26-7年前に名古屋のサーフショップの仕入れで古着を送るために

ハワイに留学した。日系の人とハワイで結婚して2人の子供の父親。ハワイで一番古くて、老舗のリムジンサービスのえらいさんで結婚式の送り迎えや教会の手配や日本の結婚式ブームの火付けとなった仕掛け人。

彼はその昔ワイメアも入ったというほどの腕前。僕が冬の2ヶ月のノースの滞在の時には1週間に二回の休みの時にはサウスからいつも朝早くに僕と波乗りをする。仕事の時はスーツにリムジンの運転手姿はかっこいい。・・・

よく日本のお客さんにサーファーの新郎がいれば新婦さんそっちのけで波乗りの話をするらしい。彼はハワイの古い歴史にも詳しく、ドライバーになるためにハワイのことを若い時に勉強したらい。

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僕のよきライバルでありいい刺激になっている。「この写真の人が川上カオルさん・・・」

そして僕がぜひ皆に知ってもらいたい人に桜井さんという人がいる。

彼は60歳の還暦になっても1週間に5回も海に入る元気なサーファー。東京都出身でチャキチャキの江戸弁の竹を割ったような性格の人。僕とは6-7年前にハレイワの海岸で桜井さんから「どっか・・雑誌で見たことがあるねえ・・」

と声をかけられたのが付き合いの始まり。桜井さんは僕が50歳になっても大きい波に挑む姿を見て今までロングボードだったのが60歳でショートボートにのるきっかけになった。彼の知り合いでハワイのレジェンドサーファーのベンアイパに

サーフボードを削ってもらっている。ベンアイパはハワイでもっとも古いシェイパーであり、元はアメリカンフットボールの選手だった。今はハワイの若手サーファーの育成に力を注いでいる。人柄もよく桜井さんと同じ年ぐらいなので昔から

交流がある。桜井さんはハワイでもっとも古くから波乗りを始めた日本人かも知れない。30年以上も前にハワイにやってきて波乗りの日系1世のような彼のスタイルには僕は頭が下がる思いである。

造園業を営みながら3人のお子さんを育て上げ今は週に5回の波乗りには僕もうらやましい限り。ホノルルのエヤポートにある日本庭園はハワイに来た人なら誰もが知っているがあの公園の施工を手がけたのも桜井さんである。

彼は僕にいつも「東京や大阪京都のサラリーマンが満員電車で揺られながら読む本にハワイの夢のある生活を書いた本を書きたいよね・・」という。桜井さんの歩んできた人生を彼は日本で形にはめられた生活をしている人たちに

伝えたいんだよ・・・といつも僕に語ってくれる。1回しかない人生・・・死ぬ時にあ、あ、幸せだった・・・といえる人生を送りたいものである。少なくとも僕が見たハワイに住む日本人たちは皆何かに満足しているように思う。

それが彼らのアロハスピリットなのかもしれない。                    JPSA日本プロサーフィン連盟公認サーファー  ワイメアビックウエーブ日本人   青山弘一     「51歳の時の文章です・・・」

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