1984年に大阪のサーファーが全国のサーファーに対して・・「特に関東のプロサーファーに対して、アジアンパラダイスの映画での素晴しいサーフィングの技術をしめした。大阪のサーファーはその時に行動力で日本国中を騒がせていた。・・・」その時に僕はSCの石井秀明に頼まれて、こんな文章を書いた・・・今改めて読むとまた・・この歳になってもまた、ハングリーになって自分も頑張らなければと・・思う・・
大阪ハングリー、パワー
文章 青山弘一1984年
私が大阪で波乗りを始めて京都で生活して、はや、13年の歳月が流れた。時の流れとともに、サーフィングのスタイルも変わった。今まで一緒にやってきた仲間も卒業や結婚で、みんな離れていってしまった。
昔は、日本全国いたるところで海は空いていた。わきあいあいあのレジャーサーフィングも、今や昔の古い語り草になってしまった。
よく古いサーファーが「昔は良かった」と言う。
私はそういうキネズカ的な発想が好きではない。何故ならば、その人は現実を逃避して、昔の想い出にひたりすぎているからだ。何故今もサーフィングを続けることに努力しないのであろうか?十年一昔というけれど、一人前にサーフィンのことを言えるのは最低10年以上波乗りをやっている者だけではないだろうか?
私も選手生活10年目にしてやっとJPSAプロクラストライアルに受かった。そして去年、今年と2年間、プロサーキットを回ってみて思った事は、ほとんどのコンテストが関東で行われているために、私のような街「京都、大阪」に住んでいるものには地理的条件によるハンデキャップがあり、練習やその他で多くの時間と労力を費やしてしまうことだった。
だがしかし、それによって得たことは広範囲におよぶ行動力と自分自身で波乗りに対する欲望をコントロール出来るようになったことである。
つまり、いかにして「ハングリー精神」を作り出すかであった。
ココで私の言うハングリー精神とは誰にもありがちな、波乗りに対しての甘えや波の選択によるぜいたくさを除き、常に自分が一番苦しい時の立場にふりかって、波乗りのことを考え、現在のおかれた立場に満足しないことである。
例えば千葉でコンテストがあるとする。普通の人間なら高速道路を利用するのだが、我々はそこをあえて国道1号線で東京まで行き、12時間ほどかけて朝方千葉に到着する。
そして波の良し悪しにかかわらず、大会会場の前で海に入り、そこでコンデションを整え、車で寝る。そして誰よりも早くポイントをチェックして海に入り、コンテストにいどむ。
なぜ高速道路を使わず、民宿やもよりの宿泊施設に泊まらないのか?それはそのようにハングリーに気持ちをする事により、自分自身の甘えをなくし、闘争心をふるいたたせるためでもある。
必ずしも金銭面の問題でそうしているのではない。
キャンピングカーで海の前で寝泊りするのと、民宿で寝泊りするのとを比べてみるといい。
必ず車に泊まって海の前での生活の方が波乗りをするのには規則正しくなると思う。
このようなスタイルは1日やそこらでなったわけではない。少しでも時間を有効に使うため、街を拠点として海に行き、いらぬ労力を省いた生活の知恵でもある。
これと同じようなことが海の近くに住むサーファーと街に住むサーファーにも言える。
海に住んでいるものはいつも近くに波乗りできる場所があるからつい、そのスポットで入ってしまう。そこで甘さが生じていると思う。
そして、それに反して街に住むサーファーはどうせここまで来たのだからといって、朝、夜が明けぬうちから一番いいスポットを探す。
ここに海の近くに住むものと遠くに住むものとのハングリー精神での差が出てくる。
だが、しかし、私も海の近くに数ヶ月暮らした事があるのだが、街の者も海の近くに住めば現状に満足してしまい、必ずレイジーになり、ハングリー精神がなくなってしまう。
また、その反対も言える・・・・
よって海が近く遠くうんぬんではなくて、みんな自分の置かれた現状にあまりにも満足しすぎていると私は思う。
もう少し、自分の現状を考え直してみて、ハングリーに自分をしてみてはどうだろうか?
また、行動力の面においてもこのハングリー精神は必要となってくる。
我々は波があれば、前日まで千葉にいてたものが、あくる日には日本海の山口県まで走るときがある。もちろん、何十時間も走り続ける。交代で車に中で睡眠をとり、食事をとり、ひたすら走り続けるのである。次の波を求めてである・・・。
無論サバイバルに必要な道具はこの車に積んである。
サーフングがやりたくて、やりたくて、こういう行動にかられる。
結局は波乗りが好きなのである。
だから、私は行動力においては自信がある。
そして、私が言いたいのは「コンテストサーフング」がサーフィングのすべてではなく、旅をし、動き、見知らぬ土地に行くことも自分自身のサーフィングのプラスになるという事である。
そして日本のみならず、海外にも目を向ける必要性があると思う。
何故ならば、波が小さい、質が悪い、日本の波であるから、いい波を追求していくと最終的には海外になるからである。
ハングリー精神的見解から言うと、関西「京阪神」のサーファーは海まで3-5時間、関東「東京」のサーファーは1-2時間でいける・
車の車種においても関西は箱型車、関東は乗用車が多い。
関西の方が少しはハングリーだと私は思う。
そして行動力の点にもおいても大阪のサーファーはよく旅をし、日本のみならずどこにでもいる。
それを称して石井秀明が華阪と言った。
華僑は中国人がその土地に根をはやして骨をうずめる事を言う。
あきらかに大阪のそれは「ニック野崎」は華僑に似るところがある。
私はその根性を・・・「大阪パワー」・・・と呼びたい・・・
そして、「大阪パワー」・・とはいつでもどこでも行動力があり、大阪弁を使い、自分の世界を展開してしまう。
型にはまったのが嫌いで、物事をななめに入れるから、得る事が多い・・・。
とろがその反面、前向きすぎて技術よりも出すぎた面も多いのも欠点であると思う。
でも、今そんな大阪パワーがハングリー精神を武器にじょじょに浸透し始めていると思う。
「もうかってまっか」の大阪には道頓堀があり、くいだおれの人形があり、お好み焼きがあり、漫才があり、そして、人間味があり、愛がある・・・。
ここ大阪には波乗り出来る海がなくても波乗りのソウルがある・・・・。「それを称して石井秀明が上田正樹の歌・・「悲しい色」といった・・・・・
私も自分の生まれ育ったこの大阪の町が好きだ・・・。
だから・・これからも・・この街を拠点として動き回りたい・・・。
青山弘一「1952年京都に生まれ幼稚園の時に父親の仕事で大阪に住む、1977年京都にサーフショップノースポイントを開業・・・現代に至る」
今・・・・1970年と1980年のブームがきています・・・
何故なんだろうと考えた時、僕は今の波乗りの軽さや、レールを使わない波乗り・・・そし重いボトムターンよりも、リップを何回するかが、必要なプロサーファーたち・・・・
時代は変わりましたが、基本にある波乗りのソウル「魂」とレールツゥレールやビックウエーブやチューブは昔も今も変わりません・・・
アジアンパラダイスの時代が僕は懐かしいであります・・
あのころはサーファー全員が同じ所に向かっていたように僕は思います・・・・
・・・今、この乱世の波乗りの世の中・・・・だれが波乗りがうまいか・・・?誰がレールを使うサーフィングをするか・・・・今出ている・・・「日本の波乗りの雑誌」・・・どれも読んでいても、まったく面白くないこの時代・・・・・
皆さんはどう思いますか・・・・「アジアンパラダイスのあった時代のSCの波乗りの雑誌が僕は読む所と写真がうまくマッチしてワクワクした僕の青春時代でした・・・
今のぺらぺらの1ヶ月に1度の面白くない波乗りの雑誌・・・
どう思いますか・・・?
面白くないしDVDがついていないと買わない雑誌・・・地に落ちてきたと思います・・・
僕はお金をだして買う気にもならない・・・
自分がワイメアの見開きに乗っても、他の記事が「読むトロロのない記事」が載っているので買いません・・・
世界の波を、僕は乗っているんだから勝手にカメラマンがとってくれよ・・・とおもいます・・・日本人が取らなくても外国の」カメラマンがその日一番の波に乗れば抑えてくれています・・・・自慢ではないです、ワイメアに乗るために誰より努力しています・・・今でもプールで50メートルの潜水は毎日でもしています「決して僕も真似はしないでください」・・・僕は努力をしています・・・今でも「大阪ハングリー精神です・・・」・・・波がない京都市内「大阪」ですから・・・
現在波乗りをするサーファーの軽い感じや・・・車で寝て波乗りをする若者が居なくなった、今日この頃・・・・僕はもう少し今のサーファーもハングリーになって欲しいと思う、今日この頃であります・・・・
「古きを思い出して、新しきを模索する・・・・」
「面白きなき、「波乗り業界」・・・を・・・より、面白き・・・」しようではありませんか「同志諸君」・・・
僕の文章に感動した人はメールください・・・
« 先週はトラックの上に、軽トラックお積んで四国に来てくれました・・ | Main | 僕の友達でサーファーでシンガーの中川武次君のライブ映像があります・・・彼とは38年前に伊勢で始めて波乗りした時にあった・・・その彼と去年四国でばったり会い・・・彼のライブを四国で聞いて感激しました・・ »
「青爺のメディア情報」カテゴリの記事
- ニュースです・・・!!9月27日日曜日、WOWWOWのテレビに出ます・・(2009.09.11)
- 1984年に大阪のサーファーが全国のサーファーに対して・・「特に関東のプロサーファーに対して、アジアンパラダイスの映画での素晴しいサーフィングの技術をしめした。大阪のサーファーはその時に行動力で日本国中を騒がせていた。・・・」その時に僕はSCの石井秀明に頼まれて、こんな文章を書いた・・・今改めて読むとまた・・この歳になってもまた、ハングリーになって自分も頑張らなければと・・思う・・(2009.06.24)
- 1997年の7月から1年半にわたり、サーフィンライフのコラムを青爺が担当しました・・・まずは1回目「芸術的に美しいスプレー」(2009.05.29)
- 5月29日「金」に京都のLAB,TRIBEでサーファーズ、ソウル、ナイトパーテイがあります・・(2009.04.24)
- 1997年から1998年までサーフィング雑誌の「サーフィンライフ」に18回記事を連載していました・・覚えてますか・・?(2009.04.22)





Comments