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June 2009

June 26, 2009

最近はコンビニとか携帯電話が普及して20年前とは違う世の中になっている事にみんなきずいて欲しい・・便利な世の中ほど怖いものはない・・・・でも子供たちの笑顔と愛は永遠である・・・

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     今、この世の中で、子供達に地球があと数日しか、なかったなら、なにがいりますか?
     と問えば、

     ほとんどの子供達が「お金」と答える。


       生きるために地球の機能が動かなくなって、生き残るため    には何がいるか・・・?


      震災の時を思い出して欲しい。・・・

       ライフラインが止まったら・・・

       

      人間が生きていくのに必要なものは「火と水」である・・・

     


    これは太古の昔から変わらない・・・・・
     


     そしてその質問には子供たちばかりではなく、我々大人でもお金と答えるであろう・・・
     それは今の子供たちは ・・・・コンビニでものが、何でも買える便利な
     世の中になったからだと・・・・そして友達との連絡は携帯電話で・・・・
     便利な世の中にみんな当たり前と思いすぎかも・・・・?
     

    そして、その子供たちが・・・<水と火>と答えた子供達がほとんどいなかったことからも解かるように、
     この21世紀になりあまりにも便利な世の中になってきて、ほんとうに大切な
     ものは何か大人達でもわすれかけている。
     
     いまこの地球的な観点から考えてみると<自然>というもっとも身近で大切な
     ことを忘れかけているのではないだろうか?
      
     サーファーは波に乗るときは板一枚で太古の昔から同じ事のくり返しである・・・

     もっとも自然に近いスポーツ・・・嵐の中で津波の中でサーファーは生きる、死ぬを味わう・・・

     これほど、サバイバルなスポーツはない・・・だから・・・大きい波に乗るサーファーはサバイブするのがうま    
     いのかもしれない・・・
     もしタイムマシンに乗ってたった100年前でもいいから戻ってみて
     子供達に同じ質問を問い掛けてみれば、ほとんどの子供達が<水と火>という
     答えがかえってくる。
     それ以外にもうひとつ大切な言葉もかえってくることに驚かせられる。

         それは<お父さんとお母さん>である。

     <家族>の絆ほど大切なものはない。

     そんなことも思いつかない世の中になりつつあるのではないだろうか?。。。。。

     その昔、四国の猟師たちはマゼの風<南>よりコチの風<東>の時には
     必ず岸に船をあげたそうな。。
 
     いいつたえは<親から子へ、子から孫へ、、>とうけつがれていく。

     僕達サーファーもこの自然から受けるエネルギーを21世紀の子供達に残し
     ていきたいとおもっている。

     この笑顔は僕がスンバワ島に行った時の子供たちの笑顔である・・・この島には電気もほとんどなく
    水と火が重要なことがわかる・・・

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June 25, 2009

今日はプールでパドリング

今日はプールでパドリング
今日は夏のような晴れだ。朝10時から丸太町にあるとうすいかいのプールに水泳とパドリングの練習、パドリングで1キロ漕いでから水泳。水泳はアップでイチキロ、クロールで100メートルイターバル1分25秒平均で5本。100メートル個人メドレー1分1秒30秒平均で五本、100メートル平泳ぎ1分35秒平均で五本、キックとプルでイチキロ、トタール3キロメートルぐらい朝から昼過ぎまでのトレーニングでした、街にいるときはほとんど毎日二、3キロはおよいでいます。次は9月4*5日京都アクアリーナで国際マシターズ大会で日本記録で優勝することです。必ずもう一度長水路の日本記録だします・応援おねがいします。

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June 24, 2009

僕の友達でサーファーでシンガーの中川武次君のライブ映像があります・・・彼とは38年前に伊勢で始めて波乗りした時にあった・・・その彼と去年四国でばったり会い・・・彼のライブを四国で聞いて感激しました・・

70年代の懐かしい曲を彼をライブで弾いてくれる・・・ハーモニカ・・とギター1本でメローな世界に引きずり込んでくれる・・・・今忘れかけているやさしい曲・・・・イーグルスやニールヤング、ロッド、スチュアート、ボブ、デラン・・・・

とても懐かしい・・・・曲だ・・・みんなも聴いてください・・・・・・


プロコル・ハルムの青い影

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1984年に大阪のサーファーが全国のサーファーに対して・・「特に関東のプロサーファーに対して、アジアンパラダイスの映画での素晴しいサーフィングの技術をしめした。大阪のサーファーはその時に行動力で日本国中を騒がせていた。・・・」その時に僕はSCの石井秀明に頼まれて、こんな文章を書いた・・・今改めて読むとまた・・この歳になってもまた、ハングリーになって自分も頑張らなければと・・思う・・

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大阪ハングリー、パワー
                         文章   青山弘一1984年

私が大阪で波乗りを始めて京都で生活して、はや、13年の歳月が流れた。時の流れとともに、サーフィングのスタイルも変わった。今まで一緒にやってきた仲間も卒業や結婚で、みんな離れていってしまった。

昔は、日本全国いたるところで海は空いていた。わきあいあいあのレジャーサーフィングも、今や昔の古い語り草になってしまった。

よく古いサーファーが「昔は良かった」と言う。
私はそういうキネズカ的な発想が好きではない。何故ならば、その人は現実を逃避して、昔の想い出にひたりすぎているからだ。何故今もサーフィングを続けることに努力しないのであろうか?十年一昔というけれど、一人前にサーフィンのことを言えるのは最低10年以上波乗りをやっている者だけではないだろうか?

私も選手生活10年目にしてやっとJPSAプロクラストライアルに受かった。そして去年、今年と2年間、プロサーキットを回ってみて思った事は、ほとんどのコンテストが関東で行われているために、私のような街「京都、大阪」に住んでいるものには地理的条件によるハンデキャップがあり、練習やその他で多くの時間と労力を費やしてしまうことだった。


だがしかし、それによって得たことは広範囲におよぶ行動力と自分自身で波乗りに対する欲望をコントロール出来るようになったことである。

つまり、いかにして「ハングリー精神」を作り出すかであった。

ココで私の言うハングリー精神とは誰にもありがちな、波乗りに対しての甘えや波の選択によるぜいたくさを除き、常に自分が一番苦しい時の立場にふりかって、波乗りのことを考え、現在のおかれた立場に満足しないことである。

例えば千葉でコンテストがあるとする。普通の人間なら高速道路を利用するのだが、我々はそこをあえて国道1号線で東京まで行き、12時間ほどかけて朝方千葉に到着する。
そして波の良し悪しにかかわらず、大会会場の前で海に入り、そこでコンデションを整え、車で寝る。そして誰よりも早くポイントをチェックして海に入り、コンテストにいどむ。
なぜ高速道路を使わず、民宿やもよりの宿泊施設に泊まらないのか?それはそのようにハングリーに気持ちをする事により、自分自身の甘えをなくし、闘争心をふるいたたせるためでもある。
必ずしも金銭面の問題でそうしているのではない。
キャンピングカーで海の前で寝泊りするのと、民宿で寝泊りするのとを比べてみるといい。
必ず車に泊まって海の前での生活の方が波乗りをするのには規則正しくなると思う。

このようなスタイルは1日やそこらでなったわけではない。少しでも時間を有効に使うため、街を拠点として海に行き、いらぬ労力を省いた生活の知恵でもある。


これと同じようなことが海の近くに住むサーファーと街に住むサーファーにも言える。

海に住んでいるものはいつも近くに波乗りできる場所があるからつい、そのスポットで入ってしまう。そこで甘さが生じていると思う。

そして、それに反して街に住むサーファーはどうせここまで来たのだからといって、朝、夜が明けぬうちから一番いいスポットを探す。

ここに海の近くに住むものと遠くに住むものとのハングリー精神での差が出てくる。
だが、しかし、私も海の近くに数ヶ月暮らした事があるのだが、街の者も海の近くに住めば現状に満足してしまい、必ずレイジーになり、ハングリー精神がなくなってしまう。

また、その反対も言える・・・・

よって海が近く遠くうんぬんではなくて、みんな自分の置かれた現状にあまりにも満足しすぎていると私は思う。

もう少し、自分の現状を考え直してみて、ハングリーに自分をしてみてはどうだろうか?
また、行動力の面においてもこのハングリー精神は必要となってくる。

我々は波があれば、前日まで千葉にいてたものが、あくる日には日本海の山口県まで走るときがある。もちろん、何十時間も走り続ける。交代で車に中で睡眠をとり、食事をとり、ひたすら走り続けるのである。次の波を求めてである・・・。
無論サバイバルに必要な道具はこの車に積んである。

サーフングがやりたくて、やりたくて、こういう行動にかられる。
結局は波乗りが好きなのである。

だから、私は行動力においては自信がある。

そして、私が言いたいのは「コンテストサーフング」がサーフィングのすべてではなく、旅をし、動き、見知らぬ土地に行くことも自分自身のサーフィングのプラスになるという事である。
そして日本のみならず、海外にも目を向ける必要性があると思う。
何故ならば、波が小さい、質が悪い、日本の波であるから、いい波を追求していくと最終的には海外になるからである。

ハングリー精神的見解から言うと、関西「京阪神」のサーファーは海まで3-5時間、関東「東京」のサーファーは1-2時間でいける・
車の車種においても関西は箱型車、関東は乗用車が多い。

関西の方が少しはハングリーだと私は思う。

そして行動力の点にもおいても大阪のサーファーはよく旅をし、日本のみならずどこにでもいる。
それを称して石井秀明が華阪と言った。
華僑は中国人がその土地に根をはやして骨をうずめる事を言う。

あきらかに大阪のそれは「ニック野崎」は華僑に似るところがある。


私はその根性を・・・「大阪パワー」・・・と呼びたい・・・

そして、「大阪パワー」・・とはいつでもどこでも行動力があり、大阪弁を使い、自分の世界を展開してしまう。
型にはまったのが嫌いで、物事をななめに入れるから、得る事が多い・・・。
とろがその反面、前向きすぎて技術よりも出すぎた面も多いのも欠点であると思う。

でも、今そんな大阪パワーがハングリー精神を武器にじょじょに浸透し始めていると思う。

「もうかってまっか」の大阪には道頓堀があり、くいだおれの人形があり、お好み焼きがあり、漫才があり、そして、人間味があり、愛がある・・・。

ここ大阪には波乗り出来る海がなくても波乗りのソウルがある・・・・。「それを称して石井秀明が上田正樹の歌・・「悲しい色」といった・・・・・


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私も自分の生まれ育ったこの大阪の町が好きだ・・・。

だから・・これからも・・この街を拠点として動き回りたい・・・。
                                    青山弘一「1952年京都に生まれ幼稚園の時に父親の仕事で大阪に住む、1977年京都にサーフショップノースポイントを開業・・・現代に至る」

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今・・・・1970年と1980年のブームがきています・・・

何故なんだろうと考えた時、僕は今の波乗りの軽さや、レールを使わない波乗り・・・そし重いボトムターンよりも、リップを何回するかが、必要なプロサーファーたち・・・・

時代は変わりましたが、基本にある波乗りのソウル「魂」とレールツゥレールやビックウエーブやチューブは昔も今も変わりません・・・

アジアンパラダイスの時代が僕は懐かしいであります・・
あのころはサーファー全員が同じ所に向かっていたように僕は思います・・・・

・・・今、この乱世の波乗りの世の中・・・・だれが波乗りがうまいか・・・?誰がレールを使うサーフィングをするか・・・・今出ている・・・「日本の波乗りの雑誌」・・・どれも読んでいても、まったく面白くないこの時代・・・・・

皆さんはどう思いますか・・・・「アジアンパラダイスのあった時代のSCの波乗りの雑誌が僕は読む所と写真がうまくマッチしてワクワクした僕の青春時代でした・・・

今のぺらぺらの1ヶ月に1度の面白くない波乗りの雑誌・・・


どう思いますか・・・?

面白くないしDVDがついていないと買わない雑誌・・・地に落ちてきたと思います・・・

僕はお金をだして買う気にもならない・・・


自分がワイメアの見開きに乗っても、他の記事が「読むトロロのない記事」が載っているので買いません・・・

世界の波を、僕は乗っているんだから勝手にカメラマンがとってくれよ・・・とおもいます・・・日本人が取らなくても外国の」カメラマンがその日一番の波に乗れば抑えてくれています・・・・自慢ではないです、ワイメアに乗るために誰より努力しています・・・今でもプールで50メートルの潜水は毎日でもしています「決して僕も真似はしないでください」・・・僕は努力をしています・・・今でも「大阪ハングリー精神です・・・」・・・波がない京都市内「大阪」ですから・・・

現在波乗りをするサーファーの軽い感じや・・・車で寝て波乗りをする若者が居なくなった、今日この頃・・・・僕はもう少し今のサーファーもハングリーになって欲しいと思う、今日この頃であります・・・・


「古きを思い出して、新しきを模索する・・・・」


「面白きなき、「波乗り業界」・・・を・・・より、面白き・・・」しようではありませんか「同志諸君」・・・

僕の文章に感動した人はメールください・・・

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June 22, 2009

先週はトラックの上に、軽トラックお積んで四国に来てくれました・・

先週はトラックの上に軽トラック
友達の藤木くんが京都から車の上に軽トラックをつんで四国の工場まで、わざわざ、持ってきてもらった。


これで僕も地元のサーファー気分である・・・・街に住んでいるものは地元のサーファーになるのが夢・・・


地元のサーファーは荷台にヒョイと板を積んで海に向かう!僕もこれで少しローカールま気分になれる。

僕は海から帰ったら車ごと水あらいをする。板は車の後ろに積んだままにしておく。、そして工場で板のラミネートしたりシエィプしたり、夕方も波乗り!
四国に居る時はいいペースで生活がある・・・・

波の音を聞いて生活して波乗り中心の生活・・・・・・

僕は今・・・月のうち1週間から10日間は四国の生活・・・・後は都会の生活である・・

6月末は僕は京都にいますから京都の店に寄ってくださいね・・・青山弘一・・

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6月20日の土曜日は四国、21日の日曜日は日本海に居ました・・・

土曜日は四国、日曜日は日本海


土曜日は四国の尾崎は頭のオンショアで人はすいてた。8人ぐらいであった・・・波はあんまり良くないが


僕は金曜日の夜に京都を出てから、やまちゃんと山口県の坂本さんとミーボーと自衛隊のパイロットくんが四国にくるので会いにいった。

四国は雨だけど波はあった。


昼にラミネートを二本して夜は近くのめしやに!


日曜日は朝3時に起きて高浜にはまそうじに!


ローカルの人たちと掃除、その後はやまちゃんが日本海でパドボー講習会、

オートキャンプ場にみんなが集まり楽しくバーベキューだった。


増岡くんが今日も元気にベロベロであった。そして田村君と和風君もベロベロであった・・・

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June 19, 2009

最近、僕のブログ見た人に青山プロのプロフィールを紹介・・

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プロフィール

青山 弘一「アオヤマ、ヒロカズ」  日本プロサーフィン連盟公認プロサーファー

1952年11月20日生まれ  56歳   京都市在住
1970年      京都同志社大学の1年生の時に波乗りを四国で始める。
1974年      同志社大学卒業
1977年      京都で始めてのサーフショツプ  ノースポイントを創業
1978年      この年から2007年までノースショアーに毎冬1-2ヶ月間、
ビックウエーブに挑戦し続けている
1982年  JPSAプロテストに5位で受かる    最終ランキング23位
久我孝雄  糟谷修司 らと同期生
1983年  JPSA最終ランキング32位
1984年  日本人が日本人のプロサーファーをつかって始めて作った16ミリ映画「アジアンパラダイス」に出演        する。監督は石井秀明・・・
1984年  サーフィングクラッシックSCに「大阪ハングリーパワー」というコラムを書く・・・
1997年  サーフィンワールドのHBDの宣伝を1年間連載
1998年  サーフィンライフのコラムを2年半  連載
2005年12月   日本人で初めて25フィート「高さ12m」のワイメアに乗る。
           サーフィング雑誌  サーフ ファースト2007年37号に
           見開きで25フィートの波の写真が載る。
            38号に18フィートのワイプアウトの写真が載る。


2005年      全日本マスターズ水泳  50-54歳クラス
200メートル平泳ぎで優勝
2007年      新春マスターズ水泳で55-59歳クラス
短水路200メートル平泳ぎで日本新記録樹立 2分44秒00
           短水路100メートル平泳ぎで日本記録樹立 1分14秒88
          2007年全日本マスターズ水泳100メートルを日本記録で優勝
                               1分18秒61
2006、7年夏  KBSテレビ「チャチャチャ」にサーフィンスクールのインストラクターとして出演
2007年6月  朝日新聞週間情報AIAI「あいあい」京都にプロサーファーとして掲載
2007年7月KBSラジオ  山崎ひろしの番組に出演
2008年KBSテレビの「ちゃちゃちゃにワイメアの波にのる京都の国際人で1時間青山弘一の番組を放映・・
2008年1月サーフ1のワイメアの見開きに載る・・・
2009年ハレイワインターナショナルコンテスト、シニアクラス優勝「あのレジェンドのジャックサーザーランドさんに勝つ・・」
2009年200メートル日本短水路選手権で自分の日本記録を更新・・2分43秒25

JPSA公認ショートボートプロサーファー  1982年取得
NSA A級ジャッジ保有
ISAインターナショナルジャッジ  レベル1  保有

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「青山弘一のコンセプト」       

僕、青山弘一「あおやまひろかず」は18歳で波乗りと出会ってから56歳の今日までの38年間、片時も海のことを考えなかった日はないぐらい、波乗りというライフスタイルをも変えた生き方に真髄している。

「何がそうさせたのか?」  この質問には波乗りを体験した者にしかわからないサムシングエルスがあると思う。

波乗りとは一言で言えば波に乗る行為。・・・ルーツをひも解けば、その昔にキャプテンクックがハワイを発見した時にはもう、原住民の間で波に乗っていたという記述もあるぐらいハワイではポピュラーなスポーツ。
ハワイが原点ではあるが波があって板「サーフボード」さえあればどこでも出来る手軽なスポーツがサーフィング。
21世紀になった今、世界各国で流行しているが、ここ日本でも湘南から1960年代に始まったとされている。

一度この魅力に引きずり込まれたら忘れられない時空をも越えた体験が出来るのがこのスポーツの魅力と言えるだろう。

波乗りをしているサーファーにその魅力は?と聞いても必ず明快な答えが出ないのが波乗りの魅力の答えである。

これは僕が考えるに波に乗っている時は何も考えていないし、何も考えることが出来ない状態にあるのではないだろうか?・・・・・「トランス状態とでもいうのだろうか?」・・・

波乗りとは地面が「海面」が動いている所を滑っている四次元的なスポーツである。それにもまして波に乗っているサーファーはそのほとんどの人が波に乗っている瞬間を覚えていないのである。
これは「無」の状態。すなわち「空」の状態ではなかろうかと思う。

それだけ気持ちのいい行為なのではなかろうか?エクスタシーな気持ちであろう・・・

波乗りとは風が起こした波に乗るという自然の中の行為。
波乗りは東から昇る太陽で始まり西に沈む太陽で終わりをつげる。自然の中で海の匂いを感じ波の音を聞き魚や鳥たちを身近に感じられるスポーツでもある。
そんな素晴しいスポーツを僕はみんなに伝えていきたい。
波乗りと僕は出会ったことにより価値観や世界観や自分の生き方まで変わってしまった。
こんな素晴しいことをみんなに伝えたいのが僕の今に気持ち。
サーファーは海でごみをしないし、街でもごみをしない、そして健康的な生き方をしていると思う。
この僕は京都という海から遠い所に生まれたんだけどハワイのワイメアの25フィートの波に乗れる。そして、これからも60歳までは今と同じように大きい波に乗って生きたいと思っている。波のない京都で何故大きい波が乗れるんですか?という、質問を良くされる。その答えは大きい波がすきだからこそ大きい波に乗るために町で毎日泳いでいるんだよ、と答えている。小さい波と大きい波は違うスポーツといってもいいぐらい格差がある。
波乗りは38年やってきたからある程度乗れるが大きい波に乗るには基本的な体の維持がとても大切である。僕は明日に大きい波がきても乗れるように毎日が練習であるとかんがえている。
いつも体を100点満点の状態にもってきている。波が目の前にない分頑張りたいという

「ハングリーな精神」大阪ハングリーパワーがそうさせているのかも知れない。

だから海のないここ京都でハワイのワイメアの波に乗れるのかもしれない。

僕は今日本人で一番歳がいっていて大きい波に乗れるプロサーファーである。いや、年に関係なく、日本人で一番大きい波に乗れると思う・・・


人間頑張ればなんとかなるものである。


信念を持って努力すれば夢は現実となる。


僕は昔からあのワイメアの大きい波に乗りたい、乗りたいと思っていた。

そして夢は実現となった。

これからは波乗りの楽しさを皆に伝え、大きい波の感動を皆に伝えたい。


ハードコアでは、海のないところにいても世界のビックウエイバーと同じように大きい波に乗れるサーファーを日本から育てていきたいと思っている、


そして、ソフトコアでは波乗りの楽しさを女性や中高年、子供たちにも教えてもっと波乗りが社会的に広まるように伝えて行きたいと思っている。

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6月21日の日曜日に、日本海の高浜のナバエ海岸に朝9時集合ですよ・・・浜掃除があります・・・

いつも使わせていただいている、高浜の海と、自然に感謝の意味も込めてみなさん・・・・

ビーチクリーンをやりましょう・・・・

僕ももちろん行きますよ・・・いいことをすれば、いい意味で自分に帰ってくるし・・・悪い事をすれば、それもまた、自分に帰ってくる・・・・これを因果応報といいます・・・・

掃除をすれば・・・ローカルが顔を覚えてくれて、波を譲ってくれるかもしれないよ・・・

ビーチをきれいにすれば、気持ちがいいし・・・良いコトをした自分に「ありがとう」・・・といってビールで乾杯できるよ・・・

そして・・・きっとここの海でこれから・・・海の神様が見てくれていて、あなただけに・・・いい波をこれから「プレゼント」してくれる事まちがいなしです・・・

さあ・・・・みなさん・・・日曜日の朝9時にナバエ海岸で行われる・・・若狭サーフィングクラブの浜掃除にいきましょう・・・

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この波は2008年のノースポイントの大会を行った時の高浜の良い波の写真です・・・ノースポイントの皆が良いコトをしたからこんな良い波にあたりました・・・今年も良い波が来ますように・・・「高浜の海の神様頼みます・・・」

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June 17, 2009

この間の6月6.7日に僕のサーフィンスクールに参加した安井君です・・

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安井君は京都のサーファーで波乗りは10年以上やっているが、なかなか、うまくならないので

僕の四国でのサーフィングスクールに参加した・・・

ETCのない車で彼は車を運転してくれた情熱には感謝である・・・

今時ETCのない通常料金で土日に四国に来るくるサーファーには頭がさがる・・・


僕に教えて欲しいという熱意がないと高い高速代金をだして一人で四国まで来てくれたことはありがたい・・


彼はこれからうまくなるとおもう・・・何故なら僕の言うことをよく聞いてくれて、頭が柔らかいからうまくなると思う・・・がんばれ・・・・

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僕のウエットの昔のスポンサーはボディーグローブだった・・

Photo
80年代のころ、僕はボディグローブのウエットには大変お世話になった・・・・そして板のスポンサーはマッククリスタルであった・・・今思い出せば懐かしい思い出である・・・・
http://bodyglove.jp/http://bodyglove.jp/
僕はハワイでボディグローブのマネイジャーのスコットデイリーに知り合ったのも、ウエットのボディグローブのスポンサーのおかげである・・・・

今改めて日本のBGの社長とアメリカのBGのスコットに感謝したい・・・Photo


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このスコットとマイクボルザーと知り合ったおかげで、ロブ、マチャドやパット、オコーネルとも友達になれて感謝している・・・

僕はBGのハワイのロッキーポイントの家でカリフォルニアのサーファーと冬に1,2ヶ月間一緒に生活した思い出がある・・・・

彼らと数年間、一緒に波乗りできた事は、僕の波乗りの人生の中でよい刺激になった・・・

その時にロブ、マチャド「昔はBGがスポンサーしていた」は中学生であった・・そのころから期待された存在であり、カメラマンのマイクボルザーがロブの写真をよく取っていた・・・・・


僕と初めて知り合った時はロブも初めてハワイで旅行かばんの中はカップヌードルとお菓子とポテトチップが一杯入っていたのを思い出す・・・


そのかばんをカメラマンのマイクボルザーが何故取っているんだろうと僕は不思議に思っていた・・・

何故ならばロブは大きい波にも入らず・・ロッキポイントの波も怖がって隣のマクタビッシュポイントにいつも逃げるように入っていたので、BGのリーダーのスコットデイリーに僕はよくロブを大きい波に連れて行ってくれ・・といわれていたのであった・・・そのころから僕はカルフォリニアのサーファーの間では「ワイメアのヒロ」と呼ばれてビックウエーブのエキスパートとして尊敬されていたからだ・・・・ロブもそんな若い時期をへてパイプラインに乗れたり、有名になっていったから、みんなも最初から大きい波に乗らなくてもプロサーファーになれるかもよ・・・頑張ってね・・・
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「ボデイグローブのウエットを着たときのワイメアの写真です・・・」


そしてパットオコネールとは翌年のBGハウスで一緒であった・・・その年はハワイはやたら波が大きかった年であった・・・僕はパットと2人で10日間ぐらい、生活していた時、毎日、波が大きくてワイメアだったり、サンセットだったり大きい波で僕は大変喜んで板のである。・・・・

でもパットは、ある日僕にカルフォルニアに帰ると言い出した・・・僕が何故帰る・・・?と聞いたら「心の病気」

だ・・・・と言ったのには少し驚いてしまった・・・パットはそのころからエンドレスサマー2にも出場したりして有名なプロサーファーだったのだ・・・「僕もだれでも大きい波は嫌いなんだな・・・」・・・と思ってしまった・・・
そして僕は根っから大きい波が好きだから・・・・「ビックウエイバー」・・・・

と呼ばれるんだと彼らの態度を見て確信した出来事であった・・・・

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BGのチームの中でもビックウエイバーは沢山居るが全部年がいっている・・・・BGのビックウエイバーはスコットデイリーとアランサルローと今亡きマクーフーだけが僕と同じビックウエイバーであった・・・


まあ・・・こんな80年代の後半から90年代の前半はハワイでの良い思い出もあり・・・よき楽しいボデイグローブのスポンサーの時代であった・・・懐かしい思い出である・・・

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June 16, 2009

四国には友達の民宿がある・・・

てんちゃんという大阪から移り住んだサーファーが四国のイクミ海岸で

家庭的な民宿をやっている・・・

昔、ナサでハワイアンキッチンという喫茶店をやっていたのであるが今はお遍路さんとサーファー 
を対象に親切でやさしい感じの民宿を経営している・・・・

僕も四国に居る時にはテンちゃん「田口君」の経営する民宿イクミに顔をだす・・・・

レンタルボードもあるので四国に行った人は必ず利用してくださいね・・・素泊まりは3800円でやすいよ・・ビーチまで歩いて2分・・・・

民宿イクミ   電話番号               HP http://ikumi-ten.moonfruit.com/

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数年前に書いたハワイのお話が出てきたので呼んでくださいね・・

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「ハワイアン、アロハスピリットを持った日本人たち・・・・」4年前の文章です・・・

僕、青山弘一は今年で52歳になる。18歳で波乗りを始めてから、はや33年が過ぎてしまった。僕が波乗りを覚えてから、1年間に120日以上海とともに生活をし、トータルすると、4000日も海にいたことになる。

33年間の中で、すばらしい波や美しい景色にもたくさんであったが、僕にとって、もっともかけがえのない友人を波乗りをすることで出会えたことが僕の目に見えない財産であると思う。

そんな中で25年におよぶ冬のハワイのノースショアーにかよい読けて、多くの人々がこの僕を助けてくれたから、こんな大きな波に乗れたように思う。自分ひとりではきっとワイメアの20フィートの大波には

乗ることができなかったであろう。

大きい波に乗るということは波と一体とならなければならない。大きな自然のなかに自分の気持ちをフラットにして怖さや傲慢さを取り除き、ゼロの気持ちが

大きい波に乗るときには必要になる。もちろん一番大切なことはハワイの自然に感謝し、昔からのハワイ人が敬い尊敬してきたワイメアの神に敬意を払うことである。僕は海に入る前にはノースショアーいったいを見下ろす

フイオヘナルの丘にもお祈りをし、ワイメアにある教会のマリア様にお祈りをし、

ワイメアビーチにある大波のハワイアンのレジェンド、エディーアイカウの碑にもお祈りをして

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心を引き締めてからいつもワイメアベイのラインナアップに僕はくわわる。

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何故かあの大きい波で怪我しないのもそんな、ハワイの神々やレジェンドたちがかげながら見守ってくれているのではないだろうか。

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そして、何よりも忘れてはならないのがハワイに住んで僕をいつもヘルプしてくれる人たちである。その人たちがいるからこそ、この僕が大きな波に乗っても、無事にいられるのではないだろうか?

そんな、僕の周りにいるハワイアンアロハスピリット・・・<見返りをみない奉仕のココロ>・・・を持った人たちを紹介したい。

僕がここ10年間いつもお世話になっているところがワイメアから歩いて10分ほどの場所にあるジョンとデビィーのお家。ここはケイキビーチの近くでキャムハイウェイーの道路沿いのとても便利な場所。

200坪ほどある大きな家の1ベットルームの離れを僕の昔からの友達の日本人のやないひとみさんが住んでいるところをルームメイトとして冬の間まがりしている。

ジョンとデビーはとても気さくな人たち。僕が風邪をひいて一人ベットで寝ているときも暖かいスープを持ってきてくれたり、おいしい魚が取れたから焼いて食わないかと持ってきてくれたり、とても面倒見の良い人たちである。

ジョンは60歳をこえてもすごく元気で沢山の孫や娘たちもいるのだが、いまだに現役の大工さんで働き、趣味でハワイアンコアウッドで作った机やいすを販売している。もともとあんまりノースに皆が住んでいないころからの住人で

引退するまではフードランドの前にあるワイメアの消防士さんだった。

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だから僕に昔のワイメアの写真やあのレジェンドサーファーのローリーラッセルに会わしてくれたりなぜパイプラインマスターズで連勝していたローリーラッセルが優勝をあるカメラマンのせい

で出来なかった話など、いろんなノースの裏話を聞かせてくれたりする。

僕の折れたサーフボードがジョンのお家の郵便受けに使われている。それも最近古くなったのでいつも僕に会うたびに「ヒロ・・・折れたサーフボードはほらないでくれ・・・」といって笑顔でしゃべってくれる。

僕はあまり英語が出来ないんだけど、ある大きい波のときの朝に、ジョンが「ヒロ・・・サーフアップ・・・」・・・・とビックウエンスデイの朝のあのシーンを思い起こさせてくれた。生きた英語はこういうふうにつかうんだろう。

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そして僕が食事から寝泊りまで大変お世話になっているのが、やないひとみさん、彼女は神奈川の川崎のしゅしんで、元電通に行っていたのだがハワイが好きで移り住んでしまった。

ニューヨークのテロが起こるまではコンチネンタルのスチュワーデスだったのだがアメリカ国籍がなかったので解雇、今はマリオットホテルのタイムシェアーの期間貸しのリゾートを販売している。面倒見がよくサウスに働きながらノースから


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「ジョンの家の片隅にある、ひとみちゃんお家・・」

1時間かけて毎日通っている。ワイメアの波が大きくて僕が怖がっているときはいつも、迷うときはやめときなさいよ・・・と、引く勇気も教えてくれる昔からの家族ような仲間。僕の息子や山口県のお寺のお坊さんも毎年お世話になっている。

そのやないひとみさんの友達でエクスクルーシブというリムジンサービスに勤めている川上薫さん。彼は僕と同じ年で1952年生まれの52歳。サーファーで26-7年前に名古屋のサーフショップの仕入れで古着を送るために

ハワイに留学した。日系の人とハワイで結婚して2人の子供の父親。ハワイで一番古くて、老舗のリムジンサービスのえらいさんで結婚式の送り迎えや教会の手配や日本の結婚式ブームの火付けとなった仕掛け人。

彼はその昔ワイメアも入ったというほどの腕前。僕が冬の2ヶ月のノースの滞在の時には1週間に二回の休みの時にはサウスからいつも朝早くに僕と波乗りをする。仕事の時はスーツにリムジンの運転手姿はかっこいい。・・・

よく日本のお客さんにサーファーの新郎がいれば新婦さんそっちのけで波乗りの話をするらしい。彼はハワイの古い歴史にも詳しく、ドライバーになるためにハワイのことを若い時に勉強したらい。

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僕のよきライバルでありいい刺激になっている。「この写真の人が川上カオルさん・・・」

そして僕がぜひ皆に知ってもらいたい人に桜井さんという人がいる。

彼は60歳の還暦になっても1週間に5回も海に入る元気なサーファー。東京都出身でチャキチャキの江戸弁の竹を割ったような性格の人。僕とは6-7年前にハレイワの海岸で桜井さんから「どっか・・雑誌で見たことがあるねえ・・」

と声をかけられたのが付き合いの始まり。桜井さんは僕が50歳になっても大きい波に挑む姿を見て今までロングボードだったのが60歳でショートボートにのるきっかけになった。彼の知り合いでハワイのレジェンドサーファーのベンアイパに

サーフボードを削ってもらっている。ベンアイパはハワイでもっとも古いシェイパーであり、元はアメリカンフットボールの選手だった。今はハワイの若手サーファーの育成に力を注いでいる。人柄もよく桜井さんと同じ年ぐらいなので昔から

交流がある。桜井さんはハワイでもっとも古くから波乗りを始めた日本人かも知れない。30年以上も前にハワイにやってきて波乗りの日系1世のような彼のスタイルには僕は頭が下がる思いである。

造園業を営みながら3人のお子さんを育て上げ今は週に5回の波乗りには僕もうらやましい限り。ホノルルのエヤポートにある日本庭園はハワイに来た人なら誰もが知っているがあの公園の施工を手がけたのも桜井さんである。

彼は僕にいつも「東京や大阪京都のサラリーマンが満員電車で揺られながら読む本にハワイの夢のある生活を書いた本を書きたいよね・・」という。桜井さんの歩んできた人生を彼は日本で形にはめられた生活をしている人たちに

伝えたいんだよ・・・といつも僕に語ってくれる。1回しかない人生・・・死ぬ時にあ、あ、幸せだった・・・といえる人生を送りたいものである。少なくとも僕が見たハワイに住む日本人たちは皆何かに満足しているように思う。

それが彼らのアロハスピリットなのかもしれない。                    JPSA日本プロサーフィン連盟公認サーファー  ワイメアビックウエーブ日本人   青山弘一     「51歳の時の文章です・・・」

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June 14, 2009

ある大分にあるシークレット

ある大分にあるシークレット
今から15年前は僕は日本全国の波を探して旅をしていた。今でこそ四国とハワイしか波乗りしていないがそのむかしはなみがあればどこにでも行っていた。この時は四国の仁淀川で台風の波の10フィートの乗った後佐伯から九州 にフェリーで渡り日本で一番いいなみであった大分のレギュラーの波に乗ったときの写真である。40才ぐらいなので元気でラジカルであった。チューブの中でリップしてから入る、不思議な写真だ。今はテトラポットがはいり幻のポイントになった。このころは冬はハワイ、梅雨はインドネシア夏は台風秋は日本海と一年中波乗りをしていたように思う。今も体が動く限り後悔のないように今年からは波乗りをするために西日本や関東にワイメアのガンと写真とビデオを持って次の若い世代の子供達にワイメアに興味をもってもらうために全国行脚するのがこれからのミッションであると思う、もう今年で57才になるからからだがぎんぎん動くのも65才までとよんでいるから後8*9年しかないから早く次の世代にワイメアに興
味を持ってもらいたい。佐久間ヨウノスケのなきあと遠藤隆久しか僕の後を伝えるビックウエィバーはもういないから早く次の世代にワイメアを伝えたい!

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June 12, 2009

四国の平和な夕暮れ

四国の平和な夕暮れ
たまにのんびりしたいときに僕はここからの景色を見に来る。とても気持ちのよい空間がここにはある。のどかに釣りをするひとがいたり、小鳥のさえずりが聞こえる、そしてここはヤマビコが聞こえる、海に向かって山に「ヤッホ」と叫ぶとヤッホー・・・・・ヤッホ・・・と何回もヤマビコが海から聞こえるスピリチュアル」な神聖なるポイントである・・・是非海部からなさに向かって少し行った所に「デーゼル」の宣伝看板があるからそこの手前が僕の好きなヤマビコポイントだ・・・

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June 10, 2009

工場の前

工場の前
のれそうだかのれない、いくみならのれるが工場はのれない。でも波はある、明日と明後日は波があがるからまた波乗りである。

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新しく工場には軽トラが。

新しく工場には軽トラが。
新しい仲間が加わった、板を後ろに積んでヒョイと海に行ける、これは便利な車である。ウエットのまま海から上がって工場で水あびもできる。ローカル気分にもなれる四輪駆動の軽トラだ。砂浜も走れる、軽トラ何か名前を付けてやりたい。

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今日のいくみの涙

今日のいくみの涙
すいているよ。波乗りがあんまり流行っていないね、ひざこしで波乗りはできる、30人ぐらいしかいない。土日にのみ人が多いだけで平日は少ないね!関西では波乗りはあんまり流行ってないよ!徳島や四国のサーファーだけだよね・昔は車にプロパンガスつんで蚊やにテントでサーフバムがいっばいいて何か波乗りに対する志が明確だったんだけどね。スピリチュアルなスポーツなんだけど最近の若者は軽く波乗りするだけで波乗りに対する気持ちが伝わってこない。軽い板で軽いリップかなあ。思い重い板で思い入れがあるカービングなターンをしてほしい、トムカレンのように!僕はワイメアはプロとしての自己表現でしかなく、やりたい、いきつきたいのはトムカレンの深いカービングボトムターンからはちのじのカービングリップである、レールツゥ少し腹レールテールがやりたい。今日も波乗りの事考えながら日々精進である。

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June 09, 2009

新しいコンケープ

新しいコンケープ
四国で波乗りしてから板を作るのは僕によいインスピレーションをくれる。青コパンに新しい溝を今回はいれた、先週の低気圧で青コパンが大活躍、僕の理想とする高い腰の位置でもよくはしる板が完成にちかい。そして、膝からタケガシマのシークレットなあたまはんから6フィートまで乗れる万能板の完成もましかだ!でもドルフィンスルーは難しいからウラガエルのだ!

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June 07, 2009

満月ですよ

満月ですよ
四国の宍喰から見る満月は海から月が上がってくる。上がる時に海に月が反射して月の道が見える。これはいつ見ても素晴らしい、道をサーフボードでパドリングすればあちらがわに行けそうな気がする。宇宙にも行けそうな気がする。

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日曜日は波はちいさくなった、

日曜日は波はちいさくなった、
日曜日の夕方ひとも少ないが波も膝である、四国はいらこよりはすいているよ。今日は満月だから夜空を見ようね。かなり綺麗な満月が楽しめるよ。波流月だ!

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土曜日のひるの波

土曜日のひるの波
シークレットでかたぐらいにおちてしまった、朝はかなりおおきかったんだけど。でもししくいといくみではあたまぐらいだから波乗りはできる。昨日と今日はサーフィンやりまくりだ!

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June 06, 2009

6月6日土曜日の工場前の波

6月6日土曜日の工場前の波
今日は晴れでまたまだ東うねりが残っている。工場前ではハードな波が割れている・あたまはんぐらい、3 4フィートぐらいのほれたなみだ!ここは土曜日でも混雑はない、丸い石があぶないから誰もはいらい。

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June 05, 2009

誰もいない海

誰もいない海
明日は人がおおいが今日はラッキーなことに潮が満ちて来てシークレットのレギュラーはいいなみである。今よじはんだからイチラウンドパドボー夕方遅くはあおこばんにのろう!さ、海いってきまーす。

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朝はいくみで肩から頭でした、

朝はいくみで肩から頭でした、
今夕方のシークレットの波、明日は人が多いから波乗りしておきます。明日は四国で講習会です。

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June 04, 2009

カレーはヤサイカレーに!

カレーはヤサイカレーに!
半日煮込んであまくなったカレーにオリーブオイルでズッキニーとブロッコリーを炒めてヤサイカレーにした、四国にいくまえに淡路島の友達に淡路玉ねぎをもらった・その玉ねぎと地元で取れた人参とズッキーニとブロッコリーを使った贅沢な徳島この辺りのヤサイカレーだ。甘さがちがうよ。今日は波はいくみで腹ぐらいだ、明日からは肩から頭になりそうだ。朝から草刈りに波乗りにのんびり田舎生活を楽しんでいる、自炊でホームレスのような生活だが、贅沢な食生活である。ありがたい、感謝である。波に乗れることに大感謝である。毎日定期的にイチラウンド波乗りが出来る生活ほど贅沢な生活はない。大阪東京京都など都心に住むサーファーには1日に一回海に入れる生活ほどうらやましい生活はない!

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また四国でホームレス生活

また四国でホームレス生活
5月は水泳の大会があって日本記録もでたし、パーティーやニックがきたり忙しくかったよ。6月からは自分の夏の台風で使うガンを作らないとね、昨日から淡路島の友達宅に寄って美味しい玉ねぎもらったから朝からカレー作りだ、昨日は昼過ぎにいくみについて腰なみだからパドボーだして波乗り、朝からカレー作りに草刈りだ、まだまだ四国は涼しくて暮らしやすいが夏の7月中からは暑くで水の中に入るしかない。熱中症になるぐらい暑い!草刈りしていたら用水路に数年前に落ちた!海部はまだ地形が悪いが今年からは波がなければパドボーがあるから暇はないぐらい忙しい、パドボーでビッグウェーブに乗るのが夢かなあ!先週まで波は大きかったらしいがパーティーやら店番で京都にいた。楽しい京都の夜だった!都会半分田舎暮らし半分が僕の理想だ、今週は波は毎日小さいが土日には京都からイテシー割引使って友達がワンサカきてくれてこちらで波乗りして宴会だ!毎日お金をセイブして楽しくすごさないとね!人生は短いよ!

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